Sumidas Sumidasトップ 両国界隈ガイド
■両国界隈名所
龍之介の家庭環境は? 「芥川龍之介生育の地」
龍之介は明治25年3月1日、京橋区入船町8丁目(現中央区明石町)に生まれました。生後7ヶ月で母が病気となり、この地本所小泉町15番地(現両国3丁目22番)に住む伯父の芥川道章に引き取られ、やがて養嗣子として育てられました。芥川家は、代々江戸城の御数寄屋敷衆を勤めた旧家でした。道章は俳句や盆栽に親しむとともに、南画をたしなみ、また一家をあげて一中節を習い、歌舞伎を観る等、江戸趣味の濃い家庭でした。
芥川龍之介生育の地
江島杉山神社 江ノ島弁天を祀った由緒ある場所 「江島杉山神社」
杉山流鍼術の始祖、杉山検校が、将軍綱吉から拝領した宅地内に、信仰する江ノ島弁天を祀ったもの。縦穴の奥に鎮座まします本尊からは霊験あらたかなパワーが感じられます。境内の杉山検校碑には珍しい点字碑文が刻まれています。池にかかる石造りの竜尾橋や銀杏の大樹も見逃せません。
鼠小僧次郎吉の墓もある 「回向院」
明暦3年(1657)江戸大火(振り袖火事)による死者108,000余人を弔うために建立された本尊阿弥陀如来(東京都重要文化財指定)。安政大地震(1855年)の死者25,000人余りを初めとして、江戸府内の無縁仏、天災地変による死者も埋葬され、近くは大正12年の関東大震災の死者10万余人の分骨も納骨堂に安置してあります。また江戸時代の雰囲気を伝える史跡記念碑墓地が数多くあります。
回向院
勝海舟生誕の地 江戸城無血開城 「勝海舟生誕の地」
勝海舟は幼名を麟太郎といい、文政6年(1823)1月13日この地、男谷精一郎邸内で生まれました。剣は島田虎之助に師事し、蘭学海洋術を学び、万延元年(1860)幕府軍艦艦長として太平洋を横断渡米。慶応4年(1868)3月13日高輪薩摩邸において、大総督付参謀西郷隆盛と会談し、江戸城の開城を決定して、官軍の江戸進軍を中止させ、江戸百万の庶民を戦禍から救ったことはあまりにも有名。明治32年(1899)1月21日、赤坂氷川町(港区内)の自邸で死去、行年77歳。
殿中でござる!! 「吉良邸跡」
別名本所松坂町公園ともいわれる「忠臣蔵」でおなじみの、赤穂義士の討ち入りがあった吉良上野介義央の上屋敷跡です。その昔、吉良邸は松坂町1、2丁目(現両国2、3丁目)のうち、約8,400平方メートルをしめる広大な屋敷でしたが、年を経て一般民家が立ち並び、今ではその面影もありません。周囲の石壁は江戸時代における高家の格式をあらわすなまこべい長屋門を模した造りで、園内には元吉良邸にあった著名な井戸や稲荷社などの遺跡があり、当時を忍ばせています。また内部の壁面には義士関係の記録や絵画が銅板で展示されています。
吉良邸跡
警察官殉職慰霊碑 警官の鏡、ここにあり! 「警察官殉職慰霊碑」
本所警察署の前には、大正12年の関東大震災の業火の中で積極果敢に多くの人々の救出誘導にあたり、殉職された当時の本所原庭警察署和多警部補以下15名の勲労を讃え、また同震災によって、殉職された警視庁相生警察署山内署長以下34名の崇高にして警察官精神の鏡ともいうべき活動を後世に伝えるために建立されています。
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