Sumidas Sumidasトップ 両国界隈ガイド
■両国界隈名所
塩原橋 浪花節・歌舞伎の好きな人にはうれしい。「塩原橋」
橋名は江戸時代の末、「本所には過ぎたるものが二つあり、津軽大名炭屋塩原」と謳われた塩原太助がこのあたりに住んでいたことから、それにちなんでつけられたものです。太助は上州(群馬県)沼田から江戸にでて薪炭商人として成功した人ですが、その立志伝は明治の初め、南二葉町(亀沢3丁目)に住んでいた三遊亭円朝によって人情話に仕立てられ、その後浪花節や演劇にもなりました。歌舞伎の「塩原多助一代記」は明治25年に初演され愛馬の別れで大変な評判をとったそうです。
歴代横綱の石碑あり 「野見宿禰神社」
昭和27年11月、日本相撲協会によって歴代横綱の名を刻んだ石碑が二基建てられました。一基は初代明石志賀之助から四十六代朝潮太郎まで、もう一基は四十七代柏戸剛から五十代佐田の山晋松までの名が刻まれ、追記されるようになっています。この野見宿禰神社は明治17年に創建され、もと同神社の東側に初代高砂の部屋があった時、高砂浦五郎の尽力で元津軽家の屋敷のあとに相撲の神様として野見宿禰を祀りました。玉垣の石柱には力士や相撲関係者の名前が刻まれており、角界の信仰する神社であることがわかります。
野見宿禰神社
榛の木稲荷社 榛馬場跡 「榛の木稲荷社」
いつ頃造られたかははっきりしませんが、明治の初めまで、このあたりに馬場がありました。東西約185m南北約22mの広さで馬場を囲む土手に大きな榛があったので「榛馬場」と呼ばれていました。本所に住む武士たちは、この馬場で弓馬の技を磨きました。馬場の傍らに祀られていたのが「榛稲荷神社」です。天保8年(1837)に亀沢町の若者が奉納した木造朱漆の瓶子(徳利)一対が今も保存されています。
芭蕉一門ゆかりの寺 「要津寺」
駅前の賑やかさから下町の町並みを抜けると、臨済宗京都妙心寺の末寺がありました。慶安年間(1648〜51)牧野越中守成儀を開基とし、本郷に創建されましたが、その後焼失、成儀の子成貞により現在の千歳2丁目に再興されたそうです。芭蕉一門ゆかりの寺として有名で、境内に一歩足を踏み入れると、静かで、でも何か語りかけてくるような、そんな気持ちにさせてくれるお寺でした。
要津寺
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